「私はあなたがたのイエス・キリスト、肉体を持って生まれました。」
「今日は誇りについて話したいと思います。誇りは自己中心的です。この秩序だった自愛はすべてが自分勝手に欲しいと願っています。もしそれが反対されると、怒りと不合理になるでしょう。誇りは神や隣人よりもまず自分を置きます。」
「それは隠れた意図、嫉妬と所有欲に簡単に屈するのが誇りです。誇りは狡猾で操作的です。誇りには許すことが難しく、怨みを引き受けるのは容易いでしょう。誇りは他人の過ちを見逃せません。」
「あなた方は簡単に見ることができますね、それは常に誇りが聖なる愛と対立し、したがって神の国を心の中に反映するものであることを。誇りは世界の心と新しいエルサレムの間に立ちます。魂が私たちの結びついた心の部屋への旅を深めるためには、誠実さで自分の中の誇りの部分を見つけ出す必要があります。」
1コリント人への手紙 13章4-7節, 13節 を読む
愛は忍耐強く、優しいです;愛は嫉妬しませんし、自慢もしません。愛は誇り高ぶったり無作法ではありません。愛は自分勝手にならず、腹を立てたり恨みを抱いたりもしますまい。悪事が行われるのを見ても喜びません;正しいことには喜びます。すべてのことを包容し、信じ、望み、耐え忍ぶものです。これら三つは残るのですが、その中で最大なのは愛です。
テモテへの手紙 2章3-5節 を読む
しかし、これが最後の日に近づくことを理解しなさい。なぜなら、困難な時が来るからです。人々は自己愛者であり、金銭を愛する者であって、傲慢で高慢で暴力的で親に逆らい、感謝しない者であり、不敬虔で非人間的に、和解できない者であり、中傷者であり、放蕩者であり、激しい者であり、善を憎む者であり、裏切り者であり、無謀な者であり、自慢心に満ちていて、快楽の愛好家よりも神の愛好家ではない人々です。彼らが宗教の形を持っているけれどもその力を否定しているからです。そんな人々は避けるようにしなさい。